会計素人がUSCPAになって感じたこと。

学生時代意識低め、英語普通、営業一本で会計素人のサラリーマンがひょんなことからUSCPAの受験を決意。1年半で合格しましたが、学習を通じて感じたことを誰でもわかるように、平易な言葉で書き残したいと思います。というのは後付けで本当は自分の為の備忘録(笑)

私!ギターとお歌が得意です! ~自己紹介とUSCPA受験決意まで~

皆様、はじめまして。

藤原育也と申します。普通こういうネット上では本名は出さないのが一般的なんでしょうが、元来顔出し、名前出しに抵抗がなく、且つ変なことを発信するつもりもない(笑)ので、本名でやらせて頂きます。

 

このようなブログなるものは、学生時代組んでいたバンド(今も解散はしていません!) で全員がそれぞれのブログをやろうということになり、半ば無理やりやらされた以来です。

その時は何か人とは違う面白いことを書かなきゃ!という謎の使命感からまず、ブログの題名を悩みました。

結局「育也的人生概論」というクソみたいな中二病的な題名に落ち着き、結局記事も数件のみという情けない結果となりました。

 

今回、この様に発信をしようとしたのは、ある気持ちからです。

それは、「会計が嫌いで、自分とは関係ないと思っていて避けて通ってきた私がこんなにも会計のトリコになったその過程、考え方を皆さんに共有したい」と思ったからです。

厳密にいうと、上記は語弊があって、USCPAの学習で感じたことやtips的なことを将来の自分の為にも自分の文章で残しておきたいと思ったからです。

結局誰かに見てもらうことを考えるとやっぱりカッコつけて気を衒うことを書きがちなので、(私には上述の通り前科もあるので笑)、ある意味将来の自分の為に気持ちが熱いうちに軽いタッチで残しておきたいと思ったものです。

 

説明が遅くなりましたが、私は2019年9月10日を以てUSCPA合格に必要な4教科を全て合格し、USCPAとなる資格を獲得しました。

厳密にいうと、現在はUSCPAではなく、ワシントン州CPAライセンスを取得すべく各種手続き中というところです。(厳密の厳密にいうと、最後のワシントン州の倫理試験はまだ受けていないので、I am not USCPA nowです。)

上の方で書きましたが、私は完全に会計、経理とは無縁の社会人生活で、シワケ?何それ食べれるの?レベルでした。

そんな私は今や本屋、図書館に行けば会計、ファイナンス、内部統制のコーナーに走り、社内では後輩(先輩)に勉強会を主催しているアリサマになりました。

自分でもびっくりしています。

では、何がキッカケで勉強を始めたのか、その時の自分の環境、考えから書きたいと思います。

 

バンド、サークル、バイト、飲みに明け暮れるごく普通の大学生であった私は御縁あり現在の会社(総合商社)に入社しました。

就職活動の話はまた長く、ドラマがあるので、今回は割愛します(いつか機会があれば披露させて頂きます。)。

私は所謂意識の高い、デキる学生ではなく、体育会系でもなく、外国語が話せるわけでもなく、純粋に路上ライブ、CDデビュー等のバンドでの経験を評価されたこと、そして、面接官との御縁が採用につながったと考えています。

配属は食料の部門で海外から穀物を運んできて国内のお客さんに販売するというものでした。

語学が出来ないうえにITリテラシーも低く、エクセルの在庫管理表の数字を電卓で計算し手入力していたことが同期に知られたときはさすがに恥ずかしかったのを覚えています。

ただ、お客さん商売は私の性に合っていた部分もあり、時には飲み会/会食にギターを持参し、お客さんの社歌を作ってプレゼントしたりして、それなりのパフォーマンスは出せていたのではないかと思います。

やはり、こういった飛び道具はウケます。私の場合は歌、ギター、ピアノの能力に合わせ、即興で作詞、作曲が出来るので、それが強い。(←変な謙遜はしません)

芸は身を助くと言いますが、国内でも海外でもこの一芸によって色々なことを乗り越え、色々な伝説(言い過ぎ?)を作ってきました。

 

入社7年目の時に会社より中国での2年間の海外研修の機会を頂き、一年目は北京、二年目は武漢に駐在(と言っても一年目は仕事無しで語学研修だけ)しました。

一年目は完全に学生になり、大学と語学学校をハシゴする生活を送っていました。

二年目の武漢での生活が半分位過ぎたころ、「僕は中国で成長できたのだろうか」「転職、起業する同期が多い中で僕は何がウリなんだろうか」「そもそも僕には何があるんだろうか」と思うようになりました。

私は自分のことがよくわかりません。Positiveで且つnegative、前向きで且つ後ろ向き、先進的で且つ保守的、、、、

転職や起業を考えたことはありませんでしたし、憧れもありません。ただ、それは自分に自信がないからだということもうすうすは気づいていました。

就職活動の時は(なぜか)自信に満ち溢れていました。中学、高校の吹奏楽部、高校の生徒会長、そして青春のほとんどをささげたバンド活動、それらの経験は自分の言葉で情熱的に考えを伝えられる自信を与えてくれました。

しかし、時は社会人、仮に転職市場に出たら、今の会社の看板を外したら私は何を評価されるのだろう。

30前後のおっさんが「私はギターを持って、クライアントの社歌を作り、社長に気に入ってもらえました!今でも毎年会社同士のパーティには声を掛けられます!」と言ったところで、

「は、はぁ、、、」となるのは悲しいかな目に見えます。

私の価値観形成に多大なる影響を及ぼした(ている)妻からも「40歳になってもギターで食ってくのか?」と言われ、悔しく、情けなくなりました。

 

そこで、USCPAへの挑戦を決意したのです、、、、(To Be Continied)